なんのこれ式

ご訪問いただきありがとうございます。ひとり親家庭を営んでおるものの備忘録です

林の中の象のように

すみません。先に謝っておきます。少しばかり講釈垂れさせてください。

 

自分がいて心強いと感じることができたら、それを自立というのかもしれない。

 

パートナーができた時、相手が頼りなかったら不安になったりガッカリしたりすると思う。

 

だけど相手が頼もしくて信頼できる人なら、安心したら色々な未来に希望を持つことができる。

 

パートナーとは、親友、恋人、配偶者ではなく、実は自分の中に持つものかもしれない。

 

誰よりも見方をしてあげたいのは自分。

 

間違った選択をしないように見守っていてあげたいのも自分。

 

不機嫌になった時、機嫌をとってあげたいのも自分。自分の不機嫌は面倒見て、他人の不機嫌はほっとくのがいいのかもしれないなぁ。

 

怖いとか不安とか寂しいと思った時に、あの時だって頑張ってこれたじゃんとか、今の自分がついてたら今度はそんなことにはならないから大丈夫って思えたら、きっと自分の足で立てているし、前にも進める。

 

他人というパートナーは、そうして自分の足で立っている自分と、同じ方向を見て並んで歩いてくれる人なのかもしれない。

 

ブッダの言葉に 「良き伴侶を得られなければ 孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように」という言葉があります。

 

これは押井守監督の「イノセンス」という映画の中のセリフでもあるのですが、美しい映画なのでぜひ見てみてください。

 

私はこの言葉が好きで時々思い出します。

 

恋人がいたって結婚していたって所詮は一人なんだと思います。

 

娘がいくら可愛くても他人だし、彼女には彼女の人生があります。

 

自分と他人の境界線が曖昧になってくると、相手が共感してくれないこと、助けてくれないことに異常に傷ついてしまうこともある。

(思いやりと助け合いはマジで大事ですが)

 

自分の足でしっかり立っていれば、どうして相手が共感してくれないのか、助けてくれないのかも見えてきたりする気がします。今は相手にも余力が無いんだなとか、客観的に見ることもできる気がします。

 

自立って大事です。ひとりでいても、家族といても。

 

自立する心は、筋肉と一緒で、鍛え続けないと衰えてしまうものだと思います。

 

鍛えると言っても負荷をかけ続けるのではなく、自分を観察して、自分に必要な努力とそうでない努力を見分けたり、見つけたらちっちゃくちっちゃく積み重ねていくことだと思います。

 

悪をなさず 求めるところは少なくというのは、自分に対しても悪をなさず という意味もあると思います。

 

自分にしんどい思いをさせないことも大事。自分に余計なものまで求めていないかなって一呼吸置いてみる。

 

それが林の中のゾウさんかなって思っています。

 

自分自身この先他者としてのパートナーが見つかるかどうか不明ですが、林の中の象だって悪くないゾウって思っています。

 

お後がよろしいようで^_^

 

ここまで読んでくださりありがとうございました!