私は義務教育の間まともに学校へ行っていませんでした。(長くなるので今日のところは理由は割愛します)
学校へ行くことがとにかく困難だった。毎日学校に行くことということが、毎日富士山を登るくらい体力気力がいることだった。
そしてそれを上回るほど学校に興味もなかった。
周囲の大人達は自分に対してどう接していたか
もちろん大人達は学校に行くとどんな良いことがあるか、友達や仲間の大切さを何度も解いてくれました。
学校の先生も、放課後時間をとってくれて二人で話したり、自宅に来て話してくれる先生もいた。先生達のことは好きでした。自分を見てくれる存在でした。
お友達ともそれなりに思い出を作っていたし、人間関係で悩んで行きたくないということもなかった。
とにかく学校へ行くことが富士山登山だった。富士山、たまには登ってもいいけど流石に毎日はきつい。そんな感じです。
両親はどんな感じかというと、多忙な人たちでした。
実家は自営業(なので遅れていくことや頻繁に休んだりすることがまかり通っていた)で、兄弟は他にもたくさんいた。驚かれる位には兄弟が多い。
それなりにうるさく言われたり、母には父にバレないようにこっそり学校に送ってもらうなどしていましたが、ざっくり言って一人に構ってられないよ!って感じだったと思います。
学習面での影響はどうだったか
学校へ行っていない時何をしていたかというと、本を読んだりテレビを見たりしていた。
本は伝記系の漫画だったり、当時は化学と学習を購読していたのでひたすら繰り返して読んでいました。
テレビはNHK教育と「どぉ〜なってるの?」というワイドショー。
それなりに充実していたと思う。
それらのおかげで学力面では特に問題はなかったです。なので不登校でも子供が家でくつろぎながら学習していける環境が整っていれば、学力面での心配はさほどすることはないのではと思います。
ただ、ずーっと問題が出なかったわけではないです。私は元々算数が苦手でした。中学に上がり数学となり複雑化してくると自力では授業レベルに追いつけなくなりました。
やはり高校へ進学することを考えるとなると、なんらかの形で補強することが必要になるのかもしれません。
大人になった時、人間関係の形成の仕方で問題はあるか
自分はADHDなので基本人間関係下手くそでした。しかし人間関係の築き方も書籍や人との出会いによって学習することができますので、困ることや反省することがあれば自分次第で学んでいけると思います。
なんとなくですが、困らないと動かない。困った時じゃないと何かを変えようと思わない。という方もいらっしゃいませんでしょうか?(勝手に仲間を作ろうとしてすいません)
生きていく上ではほぼ必ず人と関わらなければなりませんから、自分で何かを成し遂げたいと思った時に自ずと学びの姿勢に入り、習得できるのではないかと思います。
結論
学校へ行かなくても生きてはいけるけど、学校に行っていたらあんな思い出もこんな思い出もできていたかなぁ。。( ´ _` )!と思っています。
学校がに行くことが必ず必要かと言ったら、もちろん行ったほうがいい!とは思います。
だけど、子供が学校へ行きたくないというのは何か必ず理由があって、誰かが嫌とかではなくっても、体質的に朝起きられない、集団生活が合わない、人に囲まれるのが辛い、とか本人の素質的な面で学校へ行くことが困難なのかもしれません。
そういった素質を持つ子供に対して学校へ行くことについての話し合いを繰り返したり、学校生活の重要性を理解させようとし続けることは、本人にとって困難なことを強要することになってしまうかもしれません。
できないことを頑張り続けないといけない。頑張っても親の期待に応えられないということは、辛いと思うのです。
かといってじゃあどうすれば!?というのも自分にはどうするのが良いと言えないのですが・・・
それから、子供が学校へ行きたくないというのは、子供自身の性質がただ単にそうなだけで、子供も悪くないし親の育て方に必ずしも原因があるわけではないとも思います。
自分の育て方に問題があったのかなと、思ってしまう方もいるかもしれません。
実は今日は娘が朝「お腹痛い」と言って学校を休んでいます。
今は「学校行きたかったなー」と言いながら隣でお絵描きをしていますが、朝は毎日こんな感じだったら仕事どうしよう・・最近甘えさせが足りなかったのかな?と考えてしまいました。
自分が普段からあまり学校に行きたがらなかった子供だったため、当時を振り返ってまとめてみました。
子育てはむずかしいこともありますが、子供にも親側にも幸せであってほしいものです(*´`*)