親を恨んでいるかと言われたら、恨んでいない。恨んでいた時期もありました。
ものすごーく恨んでいました。だけど、人を嫌ったり恨んだりすることに自分の人生の貴重な時間を費やすのって勿体無いと思い始めて割り切るようになりました。
それから、恨み続けるということは、自分の人生がうまくいかないのは親のせいだということが言えてしまうということもあります。
どんな理由にしろうまくいかないことを他人のせいにしているうちは、同じところでグルグル回ることになってしまう。犬がしっぽを追いかけて回るみたいに。
でも、だって…実際に親のせいなんです。だけどそこを一旦区切って、どんな条件でも今から起こることは全部自分の責任だと腹をくくることで少しずつ親のせいで呪われた人生から抜け出すことができる気がします。
とはいえ恨んでいないだけであって、私も許せたわけではありません。もう少し歳を取ったら許せるのかもしれない。親が亡くなった時に何か思うのかもしれません。
私が一番許せないと思ってしまうことは、普通にアウトなラインまで殴られていたことよりも父の言葉です。
「お前がいなくなったらみーんなが喜ぶのに。まだ生きてるの?」
「生きていても周りの人に嫌な思いをさせてるだけ。」
と言われ続け、その言葉は私の礎になってしまいました。そんなことない!と思えなかった。
「お前がじゃボケ!」と言える程自分に自信も無かった。実際にポンコツだったので。
自分はそうなんだと思っていると、人と繋がることに億劫になってしまうし、誰かと繋がりができても拗れてくる。
自分は嫌われていると思っていると人間関係って上手くいかないですよね。どうも卑屈になってしまうというか。
だから娘には、自分の存在が周りの人のプラスになっているということを無意識に感じられる大人になって欲しいと思っています。
父の言葉は今でも私を支配しています。ありがたいことに長い付き合いの友人もいたり、別れの際に泣いてくれたりする方もいらっしゃいます。
だけど20代の特に前半は他人との繋がりができるスピードや規模も大きくて、同性にも異性にも相当なメンヘラをかましていました。
そして自分がそのように情緒不安定になる理由が父の言葉のせいだと気づいたのは、20代後半になってからでした。確信したのは30過ぎてから。なんで私の人生ってこうなんだろうって考えまくった末に出てきたことでした。
それからはもう毎日のように「あの言葉が無ければ」って恨みまくってましたね〜。それは今でも思うんですけど、思ったところで過去は変わらないし、未来も良くならない。
自分で自分に言い聞かせるしかない。それは違うって。
それは違うって言い聞かせていると、それは違うって証拠が見えてくる事があります。
「あれ?なんか私好かれてない?大切に思われてない?おかしいな・・」
最初は違和感なんですが、徐々に誰かに大切に思われてくる自分を認めることができてきました。
そうして今は、自分に対する偏見を自分の中で修正する作業に入っています。本当にまだかけ出しで・・・勝俣でいうとギバちゃんの付き人になったところで、秀吉で言うと草履を懐にしまおうとしているところですね。(天下を取ろうとか思ってないですから!)
父が大変だったのもわかる。父自身の生い立ちも厳しい環境だったとは思います。しかし子供をめちゃめちゃにしておいて許されていいのかとも思う。
けど、もし父が今となっては私にしたことを後悔しているとしたら、かなり苦しんでいるんじゃないかな。
自分が娘に同じことをしてしまったら多分、悔いても悔やみきれない。(私の親が実際に悔いているかは知らんがw)
毒になる親が毒親なら、多分毒親なんだろうけど、私は今の自分はそんなに嫌いではないからこの親でも結果的に良かったのかもしれないと思っています。
今は無理に許そうとも、許さないとも思ってもいません。
長年傷つきまくった今の自分の性格と、これからも末長く付き合っていくことにはなるであろうが、その道の研究者にでもなったつもりでこれからも色々なことに挑戦していきたい。
子供が虐待されるニュースは注目されるけど、その環境を生き延びて大人になった元子供たちがどんなふうに生きているかって、きっとほとんどの人は知らない。
もっと知ってほしい。親が子供を傷つけるのは一定の期間でも、その後何十年も傷つきながら生きていくことになることを知って欲しい。
それから私は今割と幸せです。育ちが悪くても卑屈にならずに、少しずつでも前を向ける日を増やしていくことができることも知って欲しいです。
今日も熱くなっちゃったぜ・・最後までお読みいただきありがとうございます。感謝いたします。
今日という日がみなさまにとって良い1日でありますように。