過去、仕事での話。
「自分ができるってそんなに見せつけようとしないでいいから!」とかって怒られたことがあったんだ。
でも私は「結果を出さないと怒られる」「ちゃんとしないと必要とされない」って強迫観念でやっていた。(こんなことは言えないし、強迫観念という自覚もこの時はなかった)
私が仕事ができたんじゃなくて、誰でもあれ位必死になればそれ位できるけど、そこまで普通やらないよってだけ。
「そんなつもりじゃないです」
と言っても
「嘘をつくな!人を馬鹿にするのがそんなに楽しいか?」
みたいなことを言われたりしていた。
相手の言ってる事が意味不明で、かなり病んでいるた。
今なら自分の空回りの構造がよく分かるのに。
今だったら「そんな証明しなくていい」「無理しないと置いてもらえない会社は自分には合ってない」と思えるし。
相手に対しても「ご自身が勝手に劣等感を刺激されて、ヒス構文垂れ流してるだけだろう」と思ってほくそ笑んでいられるだろうに。
自分は
認められたい気持ちが人一倍強いことは分かっていたけど
それが生存本能的な
価値を証明しないと存在できない
のような、極端にいうと死活問題みたいになってたというのは結構最近気づいた。
誰もが存在しているだけで価値があるというのは
正直今でも綺麗事に思えるが
私なりの解釈を入れるならば、こういうことだと思う。
花は「綺麗に咲いております!」と証明していない
ただ咲いているだけ。
散歩してて目に止まる花もあれば、止まらない花もある。
目に止まる人には止まる。
そういうことなんじゃないかと思う。
そして遠くから見たら「あの辺一帯きれい」とか、包括的な存在意義もある。
花が咲くことに、特に意味はない。
人が生まれてくることにも、意味はない。笑
ただ生まれてきて生きて、目に止まる人の目には止まる。
雑草だって光合成をして生態系を守っている。
あの草より酸素多く出してない
とか落ち込んでないはず。
人間もまた、森羅万象の一部としてただ生きているだけです。
私も雑草だよ。明日も光合成だ。
おつかれさまです。