承認欲求には2つあるらしい。一つは他人から認められたいという欲求。もう一つは自分自身から認められたいという欲求。
この後者の承認欲求が意外と厄介だったりする。
自分を他人に置き換えてみると十分よくやってるようにも思えるのに、自分に対して無意識に浮かんでくるのは否定的な言葉。こんなんじゃダメだろって自分を責めてしまうことはないでしょうか。
友達が自分と同じ状況にいるとしたら「あなたは十分頑張っているよ。これ以上無理しないで、何かいい方法は無いか一緒に考えてみよう」と声をかけるのに、自分に対してだと「また失敗?なにやってんだか。お前は本当にダメなやつだ。」と心の中でつぶやいてしまったり。
反対に、その自分に対して投げかけている言葉を友達に対して言えるかと言われたら、NOだろう。
我が子に対して言えるか?言ったらそれは虐待だとすら思う。
子供に対して放ったら虐待とされるような言葉を、自分になら放っていいというわけではない。
私自身、自分のことを虐げてきたと気づいてからは、言葉を選ぶことができるようになりました。生きていればどうやっても、失敗も後悔も度々起こってくるのだけど、自分自身にどんな言葉をかけるかは選べるようになった。
失敗してつい自分を責めてしまいそうな時は、自分の今の状況が、友達や娘だったらどういう言葉をかけてあげたいか?そうワンクッション入れて転換してから心の中でつぶやいている。
自分に優しくするってこういうことだと思う。
「暖かいお茶でも飲んで落ち着いたら?」と思いながら自分にお茶を入れてあげたり、「今日はいつもより疲れているみたいだから早めにお風呂溜めるね」と思いながら帰宅後の家事を進めたり。
自分の中に自分を飼うのも結構面白い。なんか最近優しいじゃんってツッコんだり、今日のあなたはなんだか近寄りたくないわって伝えたり。
自分を認めることは難しいことだと感じるとしても、客観的に自分の様子を見てみたり、遊びのつもりで子供やペットみたいに可愛がってみるというのなら、案外簡単にできることなのかもしれません。
自分に優しくすること。かわいがること。それができたら自分を認めたも同然と、思っていいかなと思います。
マズローの欲求5段階説では、承認欲求は4番目の欲求です。
①生理的欲求(十分な食事・睡眠・休息を得たい)
②安全欲求(生活を安定させたい)
③所属と愛の欲求(どこかのコミュニティに所属したい・仲間が欲しい)
④承認欲求(他者・自己によって認められたい)
⑤自己実現欲求(自分の才能を開花させ、理想に近づきたい)
承認欲求が満たされず悩むということは、①〜③までが積み上げられていることだとも考えられると思います。それだけでも十分素敵なことですよね。
今日は日曜日です。家族やパートナーに「今日はどこに行きたい?」って聞くみたいに、自分にも聞いてみるのもいいかもしれません。