なんのこれ式

ご訪問いただきありがとうございます。ひとり親家庭を営んでおるものの備忘録です

マシュマロテストなう

今日は私がコロナをひいてるかもしれないので、外出自粛させていただいた。夏休み中の娘と共に、お昼ご飯は…久々のピザ!

 

娘は大喜び。注文後、配達されるのをずっと待っていた。

 

「ねぇお腹すいたーぐるぐる鳴ってる」

 

「ピザまだ!?」

 

「ピーンポーン(自分で言って)あ!来た!…まだだったあー!」

 

だんだん機嫌が悪くなる娘であった・・・

 

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よく目にするマシュマロテストの話。

 

四歳児を対象に自制心を測るために実施されたテストなのですが、これは「目に前に置かれた1つのマシュマロを食べるのを、15分間我慢できたら2つあげるよと伝えて待つ」といった内容です。

 

このテストで15分間マシュマロを食べずに我慢できる子供は3分の1なのだそう。

そして16年後に彼らを再調査したところ、その3分の1に該当した子供達は、そうでない子供達に比べて学力が高かったそうです。

 

マシュマロを食べずに我慢できた子供達の多くに共通していたこととして、15分間経過するのをマシュマロの目の前でじっと待つのではなく、15分経過するまでの間、わざとお皿を遠ざけて視界から外したり、他のことをして遊んだりしてマシュマロから意識を逸らすことを実践していたことが挙げられたそうです。

 

これは大人である私たちにも言えることかもしれません。

 

そのことばっかり考えていると、後々もたらす結果にも差が出てしまう。

 

そのために敢えて忙しくしたり、たくさんの興味や趣味を持つ。

 

大人になっても、なんだかんだ、様々な形で、マシュマロテストが行われているのかもしれない。

 

マシュマロを食べてしまった四歳児をバカにしている場合ではない。(バカにはしてないです)

 

私も何かに集中したり、夢中になったり、瞑想してリラックスしたりしながら、色々なことを楽しみに待ってみたいと思います(*'▽'*)

 

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました♪

 

 

 

 

 

 

 

子供の目で見てみたい

娘との今朝の会話

 

母「今日、夕方お客さん来るからちゃんと片付けておいてね」

 

娘「誰?」

 

母「業者さんだよ」

 

娘「あ〜、なんか壊れた物を直してくれる人ね」

 

娘の中では業者さん=壊れた物を直してくれる人。

 

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先日の娘との会話

 

娘「これはなんなん?(参院選のポスターの掲示板)」

 

母「ああ、これは日本のルールを決める人たちをみんなで選ぶんだよ」

 

後日、開票後の当確速報を見ていると…

 

娘「あ、日本のルールを決める人たち決まったん?」

 

正しく認識していたようだ。

子供たちっていろんな物事をどう理解してるのか、時々ハッと思わせられることってありませんか?

 

大人達が思っているよりずっと本当の事を見てたり知ってたりする。教えてないこともちゃんと分かってることもある。それでいて夢中になるのも上手。

 

この夏は・・・子供と一緒に子供になるがテーマです。一緒に遊んで楽しいお母さんになりたいです\( ˆoˆ )/

 

 

 

 

 

 

断る勇気

最近、いろんな勧誘をされたり国際ロマンス詐欺を仕掛けられたりとこれは何のサインか(出た出た)と頭を悩ませていた。

 

病んでいれば宗教に勧誘され、夢を持っていればビジネスの勧誘を受ける。長い間病みつつも夢を持ち続けていた自分は、過去にありとあらゆる勧誘を受けてきた。

 

それがここへきて、短期間に多方面からなだれ込むように様々なお誘いがかかっている。

 

そして私は学びました。断る勇気。

 

今まで数々の勧誘を切り抜けては参りましたが、私はどうも相手が可哀想だと思ったら断るのが苦手らしい。

 

会社にかけてくる営業の電話も相手が気の毒に思えると切れなくなってしまい、先輩が心配して代わってくれたり、三回くらい告白してくれる男性とは漏れなく付き合い痛い目を見ている。

 

だけど今回の勧誘雪崩れ込みによって、自分の意思でハッキリ断る練習がだいぶできたと思う。相手に嫌われようが、後でボロクソ言われようが、可哀想であろうが断るべき時はハッキリ断る。

 

30半ばにしてこれができていなかったんだなぁ〜〜〜〜。

 

でも練習すればするほどちょっとずつ断るのが上手くなってる気がするわ。

 

自分の気持ちをしっかり持って、先を見通して、断る意思をはっきり伝える。このことを大切にしっかり生きていこうと思います。

 

以下、私が遭遇した国際ロマンス詐欺についての詳細をまとめておりますので、ご興味ある方はどうぞ。

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原始人のマナー

娘の食事中のマナーが気になる。


自分が子供の頃は、箸の持ち方から器の手の添え方まで口うるさく言われたものだ。


だけど、ご飯ぐらい気楽に食べたくない?とも思う。


たまには何も言わずに、例えそれが少々だらしない食べ方でも、そんな日があってもいいかあって。


私も猫背で焼きそばをかきこんで、うまいに全力を注ぐ。


そして食べたらすぐに横になる。

(これはいつものこと)


原始人って、マナーとかあったのかなあ。とか考えながらぼーっとしています。


本日もお読みいただき、誠にありがとうございます!


自己肯定感のその前に、自己受容とやらの話

 

 

自己受容。それは、あるがままの自分を受け入れること。

 

あるがままの自分とは、一体何か。例えば、自分には良い面と悪い面があるとする。

 

 

私の良い面:大体いつも笑顔、人前で不機嫌にならない、目の前や電話の向こうの相手がどんな気持ちになっているか想像することができる

 

私の悪い面:すぐ体調が悪くなる、やりたくないことは先延ばし、理解されないと思ったらその人との関係を遮断したくなる

 

 

 

自己受容、とは、上記の良い面も悪い面も、どちらも自分にあるという事を、ただ認めること。

 

悪い面があっても良いんだ!これが自分なんだ!とポジティブに捉えるというのは少し違う。これは無理矢理認めるというニュアンスがある。

 

 

ただあると認める事。私ってやりたくないことは先延ばしにするよね。と認めること。私って、いつも笑顔だよね。すごい!とかじゃなくて、私はいつも笑顔だ。ただそれだけ。

 

「自分にはこういう良い面があってそこは良いけど、こんなダメな部分がある。ここはダメだ」と、それらの自分の持っている部分に良し悪しの判断をしている状態を自己分離というそうだ。

 

 

良い面、悪い面をひっくるめて、私はこんな人間なのだ。こんな部分を持っている。と良い悪いの判断を入れず、ただただ認める。それが自己受容。

 

 

自己受容は自己肯定感を育む一歩前の段階で必要とされていることなんだそうです。

 

目的地や方向性が定まっても、現在地がどこかわからないと前に進み辛かったり、目の前にどんなことが現れるか予想もできないかもしれません。

 

 

自己受容があって初めて、ありのままの自分でいられる安心感が生まれるそうです。

 

まずは自分の事を知るところから初めて見るのも良いのかもしれません。時間がある方は書き出して客観的に俯瞰してみて見るのもおすすめです。

 

 

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

通勤や家事の合間にどうぞ1

なんだか元気が湧いてくる。聞き流しできる動画をご紹介します。

 

逆境や苦境から笑いを生み出し、人を幸せにすることの強さを学べました。聞いているだけで泣いたり笑ったりしてしまいそうな、素敵なエピソード満載でした。商売をしていない方にもおすすめです。

youtu.be

 

私の大好きな劇団四季。の元役者さんが、感動を想像する言葉の伝え方を教えてくださいます。この動画だけで劇団四季がいかにすごいか・・伝わると思います。ミュージカルが苦手な方も必見です。

youtu.be

 

何度聞いても衝撃的で、全容の理解まで到達するのはまだまだ時間がかかりそうです。

説明するのは難しいので見ていただきたいです。

youtu.be

 

 

ADHDあるある その3

冷凍庫からメガネ

 ADHDの特性として、物がすぐ無くなるということがある。さっきまで持っていたのに、どこに行ったんだろう!やばい、時間無いのに!遅刻だわ!という事が頻繁にある。

 一説によると人は年間150時間探し物に費やしていると言われるそうですが、ADHDの当事者である私は年間360時間は探していると思われる。年間2週間は探し物に費やしていることになる。(もっとありそう・・)

 

しかもその探しているものが、どこから出てくるかが特徴的だ。メガネが冷凍庫から出てきたことがあるが、それはおそらくこういった手順によるものだ。

 

「アイスアイスっと。ー冷凍庫を開けるーうわっ冷気でメガネが一気に曇って前が見えない。」

 

右手は冷蔵庫の取っ手、左手にメガネ。そしてメガネをアイスと引き換えに冷凍庫に置いてそっとドアを閉じる。(視力0.7なので無くても見えます)

 

後ほどキンキンに冷えたメガネが冷凍庫から取り出されることになる。

 

同様の手順によるものとして、電子レンジからスマホ本棚から一味唐辛子が発見されたことがある。

 

これらは注意散漫と短期記憶が苦手であることから生じるのではないかと予測されます。

 

探す時には無くて、のちにその物と無関係の場所で発見される。これはADHD当事者以外からすると、一種のオカルトである。

 

いかなる困難が立ちはだかろうとも、日々の日常生活に果敢に取り組む。これがADHDが生き延びていくために必要なスーパーメンタルの基礎となる。

 

なんだかかっこいい風に書いてみました。

 

本日もお読みいただき、誠にありがとうございます。ADHDの方もそうでない方も、良い1日をお過ごしくださいませ♪