なんのこれ式

ご訪問いただきありがとうございます。ひとり親家庭を営んでおるものの備忘録です

あなたの生きずらさはどこから?わたしは中学から

生きづらさという言葉を目にすることが多くなった昨今。世の中のどれほどの人が生きずらさを抱えているんだろう。

 

生きづらさを抱えている人とそうで無い人には生き方には違いがあるし、お互いを理解することは悲しいですが難しいもかもしれない。※分かり合えないことに卑屈になっているわけではなく、そういった友達にもたくさん元気をもらっています。

 

ただ、こういう記事が苦手な方もいるかもしれません。という前置きです。

 

最近歯ぎしり防止のために歯科でマウスピースを作ることになったのですが、

「10代の頃から相当なストレスだったみたいだけど違う?」

と歯科医に言われて驚いた。

 

自分が生きづらさを抱えることになった原因は、父親の思い通りに進学できない所から始まった。

 

思えば幼い子供の頃から「もっと頑張れるはず」「やればできるのにどうしてやらないの」「だらしがない」とか言われていた。(後にADHDと判明)

 

でも義務教育の間は留年も退学も無いし、何よりテストの成績はまあまあ良かったので焦りなどなく、父からダメ出しを食らっても自分がダメだという実感が無かった。なかなかおめでたいやつだ。

 

田舎で育ったため幸いにも小・中受験は無かった。高校受験が自分にとって初めての受験だった。

 

試験、成績、その前に自分は朝起きられない人間だった。小学1年生の頃にはすでに夜眠りに着くことが難しく、皆が寝静まった薄暗い部屋で深夜まで本を読み、当然朝は起きられないという生活リズムが定着していた。

 

30年前の当時は睡眠障害発達障害などという概念も無く、両親にはただの朝起きれないだらしない子供として映っていた。

 

それが高校受験の際非常にネックになった。小・中とほとんど昼頃からしか学校に行ってない。中学生になってからは内申点に響くと散々言われたが、やっぱりどうしても起きられない。

 

例えるなら2日間徹夜した後3時間しか寝てないのに起こされたら誰でも起きるのがキツいと思うんですが、毎朝起きるのがそれと同じくらい辛かった。朝起きるのはみんな辛いんだよ!の比ではないことを理解していただきたい。

 

結局中学3年間もだらしない生徒として過ごしてしまった。好きな男の子からは「給食食べに来てるの?」と言われた。山本くんだ。

 

山本くんの話は置いといてだな、中学3年生になりいよいよ受験が迫った頃、進学校には進学できなそうだという実態が浮き彫りになってきた。その頃から父親に存在を否定されるようになった。

 

結局父の示す高校には進学できず、同等の偏差値の私学に進学することになった。

 

高校といえば進級に単位が必要である。昼から学校に行く人に単位など取れるわけがない。しかも自分が所属したクラスは1限目の前に0限目とかいう予習の講義がある、俗にいう大学進学ガチ勢が属するクラスだった。

 

自分のように昼から学校に来る人はどんどん授業に遅れていく。得意の文系科目はなんとかなっても数学・化学・物理このあたりはチーンだった。

 

どうやら進級できなさそうだ。そのことが浮き彫りになってからの父は酷いものだった。これまで言葉だけでの存在否定に暴力が加わるようになった。高い授業料を払っているんだからキレても仕方ないけど暴力は良くない。

 

私は家に帰るのが嫌になり、外をほっつき歩くようになった。わけのわからん年上の彼氏ができたり、親が不在の友達の家にたむろしたりするようになった。

 

どうせ夜眠れないんだから夜友達といたって一緒だし、その方が楽しいと思っていた。

(この辺の順番はよく覚えていない。ほっつき歩くようになってから暴力だったかもしれない。とにかく家に帰りたくないという毎日だった。)

 

結果、自分は非行に走り父のDVは加速する、負のスパイラルに突入した。この頃父にとっても会社の経営が非常に困難な時期であったため、ただでさえ暴れたい所に不良娘は憂さ晴らしの格好の餌食だった。

 

今振り返って不思議なのは、当時は親を憎む ということはできていなかった。イヤだとは思っていた。でも、自分がこんなんだから仕方ないと思っていた。だってダメな奴なんだもん。殴ることで気が済むなら殴ってほしいとすら思っていた。

 

生きていて申し訳ないと思っていたので、生きてしまっている罰として自分を傷つけたりするようにもなっていた。

 

子供って当たり前だけど小さい頃から親の元で育つ。その家庭がその子の世界になる。もっともっと色んな常識や、考え方や価値観があることを知らない。

 

しかも支配的な親だと、子供が外から新しいものを持ち込むと即排除しようとする。そういうことも影響してか、高校生になっていても心の底から親が間違っていると思うことはできなかった。

 

朝起きられないし、そのせいで学校に行けなくてごめんなさい。その気持ちでずっと自分を責めていたし、どうしたら親が喜んでくれるかも何度も考えていたと思う。今娘が私に対して思っているのと同じように。

 

娘を見ていると、子供って親の喜ぶ顔が好きだし、つい喜ばせようとはりきっちゃうし、結果よりもそういう思いが何よりかわいいって思います。

 

そんな気持ちを自分も父に対して持っていたんです。30歳を過ぎても。

 

その親を喜ばせたいという気持ちが、本当に長い間自分を苦しめることになりました。

 

だって親が望む自分は、無理しないとこなせない自分であることばかりだった。親の期待が自分らしさと相反するときはどうしたらいいんでしょうか。

 

親に否定されながら自分らしく生きていく?それとも親が喜ぶけどしんどさを押し殺して過ごす毎日?

 

どうしたらいいのか本当に長い間悩んだし、二つの間を行ったり来たりして生きてきた。

 

けれどつい数年前、私は親と関わりを持たないという選択をすることができた。そしたら否定もされないし、喜ばせようと無理な選択をすることもない。ものすごく楽になった。

 

なぜかご飯も美味しくなりました。笑

 

それでもまだ生きづらさを感じる時があります。割とたくさんありますけど、でも向き合っていく覚悟はできています。

 

娘には幸せを感じとる能力の高い大人になってほしいし、これからもずっと明るい笑顔溢れる女の子でいてほしい。そのためにも自分も笑顔で暮らしていきたい。だから生きづらさ解消をあきらめないつもりでおります。

 

偶然にもこの記事を読んで下さった生きづらさ同志には、子供もパートナーもいない方もいるかもしれない。

 

けどその方が生きづらさと向き合って前を向いて歩いているとしたら、本当に尊いことだと思います。自分を大切にしようと努力していることには違いないから。

 

自己否定や自己憐憫のない生活こそが幸せだと思います。

 

生きづらさを抱えた人が、それらを持たない無い日を1日でも増やしていけることを願っています。

 

みんなで幸せになりましょう。(宗教か?)

 

最後までご拝読ありがとうございました^_^

 

 

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