フロムが呈する、愛するとは与えること。の続きです。
与えるのは物質的なものではなく、自分の中に息づいているものを与えることである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいている全てのものを与えることだと書かれています。
そう考えてみると、私は娘からたくさんのことを与えてもらっています。
娘にちゃんと愛を与えられているかなぁ?と思うのですが、逆に愛をもらっているなぁと気付かされる(^-^;
続きます。
フロムは与える事、それ自体が喜びなり、与えることによって必ず他人の中に何かが生まれ、その生まれたものは自分に跳ね返ってくる。本当の意味で与えれば、必ず何かを受け取ることになり、与えることは、他人をも与えるものにする。と書いています。
愛とは愛を生む力であり、愛せなければ愛を生むことはできない。もし人を愛しても、その人の心に愛が生まれなかったとしたら、つまり自分の愛が愛を産まないようなものだったら・・・その愛は無力であり不幸であると。
そして、与えるという意味で人を愛せるかどうかは、その人の人格が生産的な段階に達していなければならないとしています。
生産的な段階とは・・?
依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとか、なんでも貯め込もうという欲求をすでに克服し、自分のなかにある人間的な力を信じ、目標達成のために自分の力に頼ろうという勇気を獲得している段階だそうです。(かっこいい!!)
これらの性質が欠けていると、自分を与えるのが怖く、したがって愛する勇気もない。らしい。
人を愛するためのハードル高くないか?w
死ぬまでに人を愛したい・・・
みたいなレベルなのですが。
今の自分は不安や孤独感(娘がいるのに)に苛まれることが多々あります。
正直、結婚していれば、子供がいれば孤独感は無いなんてことはないのだと思います…だってそうなら不倫も無いだろうし、虐待もない。結婚してたら鬱やアル中にはならないとかそんな感じになってくると思います。
もしかしたら孤独感は身分や立場に関係なく、皆平等に向き合うことなのかもしれませんね。
自分の不安と向き合うこと数週間。
不安の原因は分かりませんでしたが、自分には依存心(誰か助けて的な)があり、ナルシシズム(人と比べて自分はどうだとか、人からこう思われたくないとか)があり、これ以上失いたくない、傷つきたくないという思いがあり、自分を信じてあげられていないということがわかりました。
たまたま再読したフロムの本でしたが、自分の不安の答えはこれかなというところに到達しました。
これらを克服したら不安よりも愛が大きくなり、満たされるのかもしれません。
ADHDだし、過去のトラウマもあって人間不信でなかなか拗れた人生を送っています。
だけどあきらめたくない*\(^o^)/*
何年かかっても不安を克服したい。それから目標達成とやらのまず目標を、あらためて考えてみよう♪と思います。
ぼちぼち・・・のんびりやっていきまっしょい。
本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました♪