なんのこれ式

ご訪問いただきありがとうございます。ひとり親家庭を営んでおるものの備忘録です

私のおかげ♪by娘

母「何かお願い事ってある?」

小1娘「お母さんの料理が上手くなりますように」

 

我が家はこんなですが・・

昨日は娘のリクエストに応えて得意のクリームパスタを作りました。

いつもはベーコンのところを、シャケにしました。

めちゃくちゃ美味しかったんです…

 

「こんな美味しいものが食べられるなんて、幸せだよね〜」と母が言うと、

 

「私のおかげ♪」と、にんまりした顔で娘が答えました。

 

めっちゃいい性格してる、、

うらやましいっっ

 

と思った母でした。

 

母も「私のおかげ♪」ってにんまりできる女の子になりたいよ・・うん、女の子にはなれないね。だっておばさんだもん。

 

でも心の中で思うくらいいいだろう・・

それくらい神様も許してくれるはずだ。

 

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました♪

 

 

 

子育ては、思い通りにいかないことの連続

朝はベッドメイクから始まります。

ベッドの上の布団を畳んで、きれいにした状態から1日を始めたい。それが私の思いです。

 

だけど、ベッドの上で遊んでいる娘はなかなか降りてくれない。

「畳みたいんだけどー、降りてー」

「ねぇ、降りてってばー」

「それができないとお母さん他のことできなんだけど」

 

「ねぇ!!降りてってば!!!!!」と言いたくなります。

 

それが終わって洗濯物を畳みたい母ですが、娘は

「おんぶしてー!一緒に遊ぼー!」

 

部屋は散らかっていて、台所もぐちゃぐちゃ。

 

「お母さんはやることがいっぱいあるんだよ!」

 

という思いを抑えながら娘の思いに応えます。

めちゃくちゃイライラしながら思いに応えることもあるし、今はちょっと待ってね。ということもあります。

 

やらないといけないこと、やってあげたいことで、自分がやりたいこと、休みたいという思いは後回しになってしまいます。それでパニックになりそうになることも。

 

だけどそれが普通なんだってことを一旦受け止める。

できなくても悪くない。散らかっててもとりあえずOK。

 

そのパニック的な気持ちは、ずーっと続くわけじゃない。

 

穏やかな気持ちになれる時間だって、またきっと訪れることに意識を向けます。

そして深呼吸。

 

そんな中で自分を保つことだって、母親の役目であり、大きな仕事の一つだと捉えてみます。

だから1人の時間を大切に、それが1時間でも、1分でも。

自分を守ることは家族を守ることの前提です。

 

難儀ではありますが、一瞬一瞬を乗り越えれば、無事に1日が終わります。

娘は少しずつ成長するでしょう。

 

穏やかなお母さんでありたい。

娘に穏やかな女性になってほしい。

他人にも自分にも寛容で、牛乳8割のコーヒー牛乳みたいな女性になってほしいです。

 

最後意味わかりませんが、本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました♪

フロムpart3 不安を和らげる方法はすなわち愛

フロムが呈する、愛するとは与えること。の続きです。

 

aoitokei.hatenablog.jp

 

与えるのは物質的なものではなく、自分の中に息づいているものを与えることである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいている全てのものを与えることだと書かれています。

 

そう考えてみると、私は娘からたくさんのことを与えてもらっています。

娘にちゃんと愛を与えられているかなぁ?と思うのですが、逆に愛をもらっているなぁと気付かされる(^-^;

 

続きます。

 

フロムは与える事、それ自体が喜びなり、与えることによって必ず他人の中に何かが生まれ、その生まれたものは自分に跳ね返ってくる。本当の意味で与えれば、必ず何かを受け取ることになり、与えることは、他人をも与えるものにする。と書いています。

 

愛とは愛を生む力であり、愛せなければ愛を生むことはできない。もし人を愛しても、その人の心に愛が生まれなかったとしたら、つまり自分の愛が愛を産まないようなものだったら・・・その愛は無力であり不幸であると。

 

そして、与えるという意味で人を愛せるかどうかは、その人の人格が生産的な段階に達していなければならないとしています。

 

生産的な段階とは・・?

 

依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとか、なんでも貯め込もうという欲求をすでに克服し、自分のなかにある人間的な力を信じ、目標達成のために自分の力に頼ろうという勇気を獲得している段階だそうです。(かっこいい!!)

 

これらの性質が欠けていると、自分を与えるのが怖く、したがって愛する勇気もない。らしい。

 

人を愛するためのハードル高くないか?w

 

死ぬまでに人を愛したい・・・

みたいなレベルなのですが。

 

今の自分は不安や孤独感(娘がいるのに)に苛まれることが多々あります。

 

正直、結婚していれば、子供がいれば孤独感は無いなんてことはないのだと思います…だってそうなら不倫も無いだろうし、虐待もない。結婚してたら鬱やアル中にはならないとかそんな感じになってくると思います。

 

もしかしたら孤独感は身分や立場に関係なく、皆平等に向き合うことなのかもしれませんね。

 

自分の不安と向き合うこと数週間。

不安の原因は分かりませんでしたが、自分には依存心(誰か助けて的な)があり、ナルシシズム(人と比べて自分はどうだとか、人からこう思われたくないとか)があり、これ以上失いたくない、傷つきたくないという思いがあり、自分を信じてあげられていないということがわかりました。

 

たまたま再読したフロムの本でしたが、自分の不安の答えはこれかなというところに到達しました。

 

これらを克服したら不安よりも愛が大きくなり、満たされるのかもしれません。

 

ADHDだし、過去のトラウマもあって人間不信でなかなか拗れた人生を送っています。

 

だけどあきらめたくない*\(^o^)/*

 

何年かかっても不安を克服したい。それから目標達成とやらのまず目標を、あらためて考えてみよう♪と思います。

 

ぼちぼち・・・のんびりやっていきまっしょい。

 

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました♪

 

 

aoitokei.hatenablog.jp

 

 

孤独から生じる不安を和らげる方法は、すなわち愛である。

エーリッヒ・フロムは著書「愛するということ」の中でこう話しています。

 

不安を和らげる方法としてよく人間が取る手段は、3つある。

 

①集団への同調

孤立感を克服する最も一般的は方法は集団への同調である。

これについて、集団への同調による一体感は、強烈でなく、穏やかで惰性的。という理由で否定もしている。

集団とは、趣味のコミュニティ、地域、学校、会社に馴染むことなどがそうだろうか。

 

①に加えて②仕事も娯楽も型通りのものになっていること

あらかじめ決められた仕事を、決められたペース、決められたやり方でこなしていく。おまけに快活さ、寛容、信頼性、野心、誰とでも衝突せずにうまくやっていく能力など、感情面ですらあらかじめ決められているようであることををこなすことで一体感を得られる。

 

確かに、これらをこなしている時は安心感があるし、ADHDの特性を持つものとしてはこれらをこなすことができないこと、また、できそうにないと感じることで不安に陥る。

 

③創造的活動

大工がテーブルを作る、農民が穀物を育てる、画家が絵を描くなど。

人間は創造の過程で世界と一体化する。生産的な仕事、つまり自分で計画し、生産し、自分の目で仕事の結果を見るような仕事のみであるが、これらは同調以上の一体感を得られる。

 

職業でものづくりをしている友人達をみても、趣味でものづくりをしている人を見ても、彼らからは孤独を感じることはない。(ひとりだけで仕事をしていても幸せそうみたいな感じかな?内心は知らんけど、完全に個人的な感想です)

 

しかしフロムはこの一体感については、人間同士の一体感ではないとしている。

 

孤独から生じる不安を和らげる方法として①②③をあげた上でそれらを部分的に否定し、完全な答えを「人間同士の一体化、他者との融合すなわち愛」としている。

 

他者との融合すなわち愛とはどういった意味であろうか。

 

ここでオランダの哲学者スピノザの例を用いて、愛は行動であると説いている。愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。その中に「落ちる」ものではなく「みずから踏み込む」ものであり、わかりやすくいうと、愛とはもらうことではなく、与えることだと。

 

ここで「与える」という言葉について=犠牲にするといったイメージが湧く場合は「受取、利用し、貯め込む」段階から脱していないそうだ。こうなると、与えても見返りがないという感覚に陥る。非生産的な性格の人は、与えることは貧しくなることだと感じる。

 

では生産的な性格の人にとっての与えるとはどういった意味を持つのか。

 

与えることは、自分の持てる力のもっとも高度な表現であるとする。与えるという行為を通して、自分の持てる力と豊かさを実感すし、その生命力の高さと能力の高さに喜びを覚えるのだそうだ。

 

人は与えるということで愛を表現し、与えるということで豊かさを実感する。貧困は人を卑屈にするが、貧困生活が辛いだけでなく、与える喜びが奪われるからでもあると。

 

なんだかわかる気がします。

無力だなって思うと惨めな気持ちになるし、何もしてあげられない時って、相手を思っていても愛を与えられてない気がします。

 

長くなりますので、一旦この辺で。続きはまた明日アップします。

良かったら読んでやってください♪

 

過去の関連記事です

aoitokei.hatenablog.jp

 

 

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございます(*'▽'*)

娘はかわいい

今日は昨日の宣言通り、タコライスを作りました。

 

今年8歳になるというのに、娘はいまだに「ご飯食べさせて」と言います。

 

前も書いたかもしれませんが、自分でできることを人に頼むのは甘えが足りてない証拠だと考えているので、娘の求めには応じるようにしています( ´ ▽ ` )

 

介護で食事を口に運んでもらっているお年寄りの方だって、本当は自分で食べたいのだと思います。

 

着替えだってさせてもらうより、自分でした方が楽ですよね。

 

それを「お母さんしてー」というのは、甘えたいんだろうなぁって。

 

学校でもがんばってるもん。

 

おうちに帰っても、お母さんがご飯作ってる間は大人しく待っててくれてます。

 

いつもがんばってるから、一緒にいる時は好きなだけ甘えてもいいよって思います。

 

疲れてるとムカついてしまう時もあるけど。笑

 

一緒にいてあげられる時間も、甘えさせてあげられるチャンスも無限にあるわけじゃないし!

 

頼むから幸せになってくれよ〜〜〜っつって、毎日毎日思ってます。

 

おかあさんより。

 

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました♪

 

 

 

 

 

 

 

魚って美味しい

最近、お野菜がとても高く感じますが、お肉も値上がりしているような・・・

娘に「魚は嫌」と言われて以来、久しぶりに魚料理を作ってみました。

 

カレイの煮付けを食べた娘が「これ何?こんな美味しい料理食べたことない!」と、珍しく母の料理を褒めてくれました。

 

嬉しくて嬉しくて、その日以来4、5日魚料理が続いています。

夏目漱石の妻か!?)

 

個人的には赤魚の煮付けが好きなのですが、骨が多いので子供には食べにくいですよね。。

 

白身魚を小さく切ってフライにしたものや、ぶりのあらを使ったお味噌汁、サバの味噌煮などを作っています。

 

小柄な娘にはカルシウムもたくさん取ってもらいたいので、魚料理はその点とてもいいですね。

 

海藻にもカルシウムやマグネシウムが含まれていますし、海の幸料理に日々挑戦中です。

 

子供が料理を美味しいと言ってくれると、料理が捗ります♪

 

明日はタコライスのリクエストがあったので、久しぶりにお肉を使います。

 

物価が上がってから、今までは買わなかったものを買ってみたり、様々な工夫を施すのもちょっと楽しいです。

 

野菜も使い切れるようになったりと、他にも良いこともありました。

 

みなさんは物価上昇で得たことってありますか?

またお聞きしてみたいです♪

 

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました♪

 

おばさんになった私が、自分に向き合うこと

自分を守るために逃げることって大事ですけど、逃げ続けるのはちょっと違うと思うんです。逃げ癖って着いちゃいますよね。

 

向き合わないといけないこと、目を逸らしたいことに出会う度に、ちゃんとそれらしい理由が見つかるんです。

 

例えば仕事が嫌になったら

「先のことを考えると・・・」

「体が・・・」

「心が・・・」

「向いてない」

「いじめにあって」

パワハラが」

何たらかんたらって。誰がどう見ても聞いても「それは仕方ないね」って言ってくれそうな理由がちゃんと見つかるんです。

 

だから自分でも「だから仕方なかった」と思えて対して振り返りもせず、真剣に向き合ったりぶつかったり(交渉するとか、相談するとか、自分を変える努力をするとか)せずにまた同じ問題に出会して「またこうなるんか・・」ってなる。

 

時には逃げることも大切なんですけど。

私はずーっとずーーーっと逃げています。

 

仕事以外のことも、全部逃げてきたと思う。

(仕事が続かないのはadhdも関係しているとは思います)

 

傷つくのが怖いというのが多分あると思う。

 

傷つきそうになったら、その前に逃げてしまうというのがある。

 

みたいな話をある人にしたら

 

「それって自分のことしか考えてないよね。誰かに何かしてあげたいとか思ってたら、相手に何をしてあげられるかを考えるのが大事で、自分がどう思われるかなんてマジでどうでも良くない?自分が可愛がられるために行動したいと思ってるの?そんな風に生きてたらそりゃしんどいし、つまらんわな。わらわら」

 

と辛辣な言葉をいただきましたw

 

めっちゃショックだった。でもそうだなって思った。

 

自分が可愛がられるために、自分が大切にされるために生きてきたのかもしれん。

 

自分が愛されたい、大切にされたいって思って。

誰かや周りの人を愛したい、大切にしたい。じゃなくて。

 

愛してよーーーー!!!大切にしてよーーーー!!

的な人間だったのかも。

 

めっちゃめんどくさいじゃん!!

 

それでも色々な方にたくさん大切にしていただいてきたと思います。

運が良かったです。

 

愛の大きい人たちにたくさん出会えていたと思います。

でも、いつまでも貰い続けるのって、流石に森林伐採とか油田が枯渇する勢いじゃね?

 

環境破壊級の愛くれ星人だった。

 

そういうのはもう辞めにしようと思います。

いきなりは難しいかもしれないけど、今はありがたいことに与える側の人たちとの関わりが多いので、いっぱい真似をしていこうと思います。

 

今日もなかなかキモい日記になってしまいました・・・

 

でも不思議です。子供に対してはどう思われるか、大切に思ってくれてるかなんて全く気にならずに愛しまくれてしまいます。

 

子供に対しては信頼しているんでしょうね。。わかりやすいもんな。私のこと大好きって。私も大好きだし。何これ惚気?

 

すません1人で喋っちゃって。。!!

 

本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました♪